COUNTDOWN TOKYO 2020 vol.3 ソフトボール -SOFTBALL-

2020年、東京に再びスポーツの祭典がやってくる。Spopreでは「COUNTDOWN TOKYO 2020」と題し、2020年6月1日発行号まで全33競技を毎号特集。カウントダウン連載企画で世界最大のイベントを盛り上げていく。

室内野球が原型に

野球とともに2020年の東京五輪競技に“復帰”したソフトボールは、野球と同じくイギリスの「クリケット」が起源とされている。クリケットの簡易版スポーツである「ラウンダーズ」がアメリカに伝えられ、これが派生して野球が生まれるわけだが、その過程で生まれた「プレーグランドボール」や「インドアベースボール」といったゲームが「ソフトボール」の原型なのだという。

インドアベースボールは、1887年にアメリカ合衆国シカゴのファラガット・ボートクラブのジョージ・ハンコック氏が、クラブの体育館で興じられていた野球の真似事を見て、冬場の練習のために考案したとされている。これがソフトボールという現在の名称になったのは1926年。コロラド州デンバーのYMCA主事であったウォールター・ハケンソン氏が考案し、1933年には「アマチュア・ソフトボール協会」が設立され、初代会長にシカゴのジャーナリストであったフィッシャー氏が就任。1934年には標準ルールが制定され、これが現在まで至るソフトボール誕生の瞬間といわれている。

日本では、ソフトボール誕生前にインドアベースボールが伝わっており、ソフトボールの名称が採用されたのは第2次世界大戦後の1946年のこと。当初は女性の競技として扱われており、日本軟式野球連盟の中に「ソフトボール部会」が置かれていたが、1949年に「日本ソフトボール協会」として独立。翌年の1950年には、国民体育大会の正式種目となったが、この当時も女子のみの競技として行われ、男子のソフトボール競技は1957年から国民体育大会にて採用されている。日本におけるソフトボールの歴史は、女性が中心となって育まれてきた。

目指すは2大会連続の金メダル

ソフトボールが五輪の競技に初めて採用されたのは1996年のアトランタ大会。女子種目のみが行われ、出場枠は8カ国に限られていた。日本はアトランタ大会から出場して4位となり、続く2000年のシドニー大会では決勝でアメリカに敗れて銀メダル。2004年のアテネ大会では銅メダルと、常に上位に進出するソフトボール強豪国としての地位を確立した。

そして迎えた2008年の北京大会、日本は3連覇中の王者アメリカを決勝で破り、ついに金メダルを獲得。中でも準決勝・3位決定戦・決勝の3試合を1人で投げ抜いた上野由岐子投手の力投は多くの人々の記憶に残り、そのことは同年の新語・流行語大賞で「上野の413球」が審査員特別賞を受賞したことからも窺うことができる。

ついに世界一を掴み取った日本だが、実は北京大会を前に、2012年のロンドン大会から野球とソフトボールが五輪競技から除外されることが決まっていた。上野をはじめとした日本の選手たちはもちろん、アメリカやカナダなど世界中の選手たちが2016年のリオ大会からの復帰を呼びかけたが、2012年、2016年と2大会連続で野球とソフトボールは五輪種目から外れている。

しかし、2020年の東京大会で、満を持して野球・ソフトボールが復活。野球界、ソフトボール界が一丸となって五輪競技復帰を訴え続けた結果だ。“ソフトジャパン”(日本代表の愛称)は2020年、ディフェンディングチャンピオンとして2大会連続の金メダルを目指す。

その中心には、やはり上野がエースとして君臨しているはずだ。2016年に女子ソフトボールリーグで通算200勝の偉業を達成した上野も、2020年には38歳。もはや大ベテランの域に達しつつあるが、投手としてのレベルはいまだ日本人選手の中では群を抜いている。もちろん、上野に追い付き、追い越すような若手の成長にも期待したい。多くの人々にとって、五輪のソフトボールといえば「上野の413球」が脳裏に焼きついているはず。それを書き換えるような、新たなスターの誕生にも期待がかかる。

●(提供)公益財団法人日本ソフトボール協会
HP:http://www.softball.or.jp

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