COUNTDOWN TOKYO 2020 vol.13 アーチェリー -ARCHERY-

武術から競技へ

普段、あまり触れる機会のないスポーツが、五輪での日本人選手の活躍によって注目を集めることがある。41歳でアテネ五輪の銀メダリストとなり、「中年の星」と話題を集めた山本博によって、アーチェリーという競技が一般の人々にも知られるようになった。

日本における弓を用いたスポーツといえば、柔道や剣道と並ぶ日本伝統の武道の一つ、「弓道」がある。日本の伝統儀式である流鏑馬も弓道と同じ「和弓」を用いた技術であり、「洋弓」を使用するアーチェリーとは別物だ。伝統の弓術がある日本に、アーチェリーはいかにして伝わり、広まっていったのか。

弓矢の使用は、有史以前の洞窟壁画まで遡ることができ、1500年代まで狩猟と戦争の道具として使用されてきた。そんな弓矢がスポーツとして確立されたのは16世紀のイギリスといわれており、時代とともに武器としての価値が薄まるにつれ、王家や貴族の間では競技として発達していく。こうした流れは、剣術を元とするフェンシングに似ている。

競技としてアーチェリーの国際試合が始まったのは1900年前後のフランスといわれている。1900年の第2回パリ大会からは五輪プログラムになったが、1920年の第7回アントワープ大会以降は競技から外れてしまう。

1972年に五輪復帰

五輪種目への復帰を最大の目標として、ポーランドのワルシャワで国際アーチェリー連盟(FITA、2011年に世界アーチェリー連盟〔WA〕に改称)が1931年に設立される。ポーランド、フランス、チェコスロバキア、スウェーデン、アメリカ、ハンガリー、イタリアの7カ国での結成となった。

1957年のIOC総会で、1964年東京五輪でのアーチェリー復帰が一旦は決定したものの、実施には至らず。正式に復帰を果たしたのはさらにその2大会後、1972年のミュンヘン五輪からとなる。

日本でアーチェリーが本格的に行われるようになったのは、1950年代後半に入ってから。1947年に日本洋弓会が創立され、1956年に日本アーチェリー協会へと改称。1966年には現称である全日本アーチェリー連盟(AJAF)へと改めた。1969年には、全日本弓道連盟よりFITAへの加盟権を譲り受け、日本オリンピック委員会、日本体育協会(現:日本スポーツ協会)にも加盟している。

アーチェリーが五輪競技に復帰したのは1972年の第20回ミュンヘン大会。日本も参加し、1976年のモントリオール五輪では道永宏が銀メダリストとなり、日本選手としてアーチェリー競技初のメダルを獲得した。1988年の第24回ソウル大会からは団体競技が追加され、2012年のロンドン五輪では女子団体が日本女子として初の銅メダルを獲得している。

8年ぶりのメダルなるか

五輪では70mで競技を行い標的は直径122cmの円で、中心に当たれば10点。以下、得点となる円の帯が並んでいて、9点、8点…1点と外側に向かって点数が小さくなり、1点の外側は0点となる。

予選は64人の選手で行われ、トーナメントのランキングを決めるために行われる。1人が72射放ち、合計得点で1位から64位までの順位を決められ、1位対64位、2位対63位…とトーナメントでの対戦相手が決まる。

1対1で行われるトーナメントでは、1射ずつ交互に射つ(1射の制限時間は20秒)。1マッチ6ポイント先取で勝利。1セット3射30点満点で得点の高いほうの選手に2ポイント、引き分けの場合はそれぞれに1ポイントが付与される。最大5セットまで行い、両者5ポイントの引き分けのときはシュートオフ(タイブレーク)を行い勝者を決定する。

団体では、予選の合計点が上位の16カ国が出場し、1チーム3人ずつで行う。1エンドは3選手が各2射の計6射。これを4エンド行い、総得点の高いチームが勝ちとなる。1マッチ5ポイント先取で勝利。1セットは、選手が各2本射ち計6射60点満点で得点の高いチームに2ポイント、引き分けの場合はそれぞれに1ポイントが付与される。最大4セットまで行い、両チーム4ポイントのときはシュートオフ(タイブレーク)を行い勝者を決定する。

近年、日本は世界選手権やワールドカップで好成績を残しており、東京五輪ではロンドン五輪以来となるメダル獲得が期待されている。

● 公益社団法人全日本アーチェリー連盟 HP:http://www.archery.or.jp

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