COUNTDOWN TOKYO 2020 vol.17 テニス -TENNIS-

アマチュア大会だったグランドスラム

テニスのように複数の人間が1つの球を互いに打ち合うという球技は紀元前から確認されているが、スポーツとしての歴史は1873年と比較的浅く、ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐が考案した「スフェリスティキ(略してスティッキ)」がその原型となる。これがイギリスやアメリカで有閑階級を中心に急速に広まり、ルールのほかボール、ラケットといった器具も整備されていった。

1877年には、イギリスのロンドンでアマチュアの大会として第1回目のウィンブルドン選手権が開催。1881年に全米シングルス選手権(後の全米オープン)、1891年にフランス選手権(後の全仏オープン)、そして1905年、オーストラリアとニュージーランドの共同大会としてオーストラレージアン・テニス選手権(後の全豪オープン)と現在のグランドスラム(4大大会)がスタート。1900年には男子国別対抗戦であるデビスカップがナショナルチームの間で始まった。

デビスカップ出場に合わせ協会創設

日本におけるテニスの歴史は諸説ある中、1879年に文部省が体育教員養成のため開校した「体操伝習所」において、アメリカ人教師のジョージ・アダムス・リーランドが用具を取り寄せて指導した、というのが最も有力な説となっている。

1886年、伝習所を吸収した東京高等師範学校(高師=現筑波大)では、リーランドの通訳を務めた同校教授・坪井玄道の指導でテニスが取り上げられ、国内初のローンテニス部が設けられた。当時の用具は輸入物で高価だったため、国産ゴムマリの開発に着手し、以後の日本ではゴムマリを使った「軟式(現在のソフトテニス)」が盛んになり、本来のテニス(硬式)は、一部の限られた人々の間で続けられることになった。

しかし、1913年に慶応義塾大が「軟式では国際交流ができない」として硬式採用に踏み切り、同年12月にマニラの東洋選手権に遠征。軟式から転向間もない選手ばかりだったが、その一人、熊谷一弥は準決勝まで進み、軟式の技術が硬式にも十分、通用することを証明した。以後、全国主要校が続々、硬式採用を決め、本格的な硬式時代が始まった。

日本は1921年、アメリカからの誘いを受けて初めてデビスカップに参加。ただしデビスカップに参加するには、国を代表する窓口が必要であり、形式的に協会をつくってデビスカップに間に合わせた。実際に日本庭球協会(当時の名称)が発足したのはデビスカップの翌年となる1922年の3月11日。協会創立とともに、この年から全日本選手権がまず男子で始まった。

佐藤次郎の栄光と悲劇

グランドスラム最古の大会であり、最も権威があるとされるウィンブルドンで、1932年に日本人選手が一躍その名を広める。軟式出身の佐藤次郎は、1931年に全仏でベスト4に輝くと、1932と33年にウィンブルドンで2年連続ベスト4。この3年の間に“イギリスの英雄”フレッド・ペリーをはじめとした世界の強豪選手を軒並み倒し、1933年には世界3位に推された。デビスカップでも佐藤を軸として日本は躍進するが、国を背負って戦うことの重圧に耐えきれなくなった佐藤は1934年4月5日、デビスカップへの遠征途上、マラッカ海峡で船上から身を投げ、26歳の鮮烈な生涯を自ら閉じてしまう。

佐藤が成し遂げた4大大会でのベスト4入り5回と4大大会シングルス32勝は日本テニス史上の最多記録であり、日本人男子の4大大会シングルスにおけるベスト4自体も佐藤以来長らく途絶えたままだった。しかし2014年8月28日、全米オープンで錦織圭が3回戦に進出し佐藤の記録を塗り替える4大大会シングルス33勝目を挙げると、9月3日には同大会で準決勝および佐藤以来81年ぶりとなるベスト4進出を果たし、更に決勝戦に進出して日本人テニス選手初となる4大大会準優勝を果たした。

この錦織の躍進により、錦織自身の偉大さはもちろん、81年間も記録に残り続けた佐藤次郎という伝説的プレーヤーの功績も、改めて世間に知られることとなった。

女子選手の活躍、そして大坂なおみの快挙

戦後日本テニス界発展史の中でのハイライトとして、女子選手の躍進は欠かすことができない。オープン化の初期には沢松(現姓吉田)和子がジュニア時代から9年間192連勝の記録を作り、1974年にプロに転向(戦後女子第1号)してからは世界を転戦。1975年には日系選手のキヨムラ(アメリカ)と組んで、ウィンブルドン女子ダブルス優勝の金字塔を打ち立てた。これは、日本女子初の4大大会制覇の快挙である。

以降、伊達公子が1994年に全豪でベスト4に進出。同年、世界5位となり、翌年には日本女子選手として全仏史上初のベスト4、ウィンブルドン史上初のベスト8に進み、最終世界ランキングは4位となった。

1999年には、杉山愛がブパシ(インド)と組んで、全米混合ダブルスで優勝。杉山のダブルスにおける快挙は、2000年にアラール・デキュジス(フランス)と組んで全米優勝、2003年にはクライシュテルス(ベルギー)とのペアで、全仏、ウィンブルドンを制覇。また2000年10月には、日本選手として初めてダブルス世界1位に輝いた。

そして2018年、大坂なおみが全米オープンで日本女子史上初のグランドスラム決勝進出を果たすと、決勝では“女王”セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を6-2、6-4のストレートで下し、弱冠20歳でグランドスラム初優勝を果たした。大坂はさらに年明けの全豪オープンでも決勝に進出し、勝利した方が世界ランキング1位となるペトラ・クビトバ(チェコ)との戦いを制して初優勝。大会後、1月28日付の世界ランキングでも、男女通じてアジア人初の1位となった。

日本人がなかなか世界のトップに近づけなかった個人競技のテニス界で、いよいよ世界トップレベルの日本人選手が台頭し始めた。来年に迫った東京五輪でも、日本チームの躍進に期待がかかる。

(出典):日本テニス協会発行「テニスプレーヤーズガイド」

● 公益財団法人日本テニス協会 HP:https:/www.jta-tennis.or.jp

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