COUNTDOWN TOKYO 2020 vol.21 ラグビー -RUGBY-

ラグビーの誕生

ラグビーの起源を語る上で、サッカーの起源に触れないわけにはいかない。1863年にイングランドサッカー協会(FA=ザ・フットボール・アソシエーション)が設立されるまで、「フットボール」と呼ばれるスポーツは現在のサッカーとラグビー両方の特徴を持ったスポーツだった。

イングランドのパブリックスクール(名門私立学校)では学校ごとに独自のルールを持っており、パブリックスクール間で試合をする際には、試合をする度に互いのルールの摺り合わせをする必要があった。特に、イートン校を中心とする「手を使うことを制限するルール」と、ラグビー校を中心とする「手を使うことを許可するルール」との二大勢力による隔たりは大きく、長きにわたる対立を解消するために1863年、FA設立に向けた協議が行われた。

しかし、両者の意見は平行線を辿り、協議は決裂。「手を使うことを制限する」ルールを主張していたパブリックスクールの代表者らによってFAが設立され、いわゆるサッカーが誕生した。これに同意できなかったラグビー派はFAから去り、1871年にラグビーフットボール協会(RFU=ラグビー・フットボール・ユニオン)を設立。こうしてフットボールという競技からサッカーとラグビーが枝分かれしたのだった。

なお、ラグビーW杯の優勝トロフィー「ウェブ・エリス・カップ」の由来になっているウィリアム・ウェッブ・エリスが1823年に「サッカーの試合中にルールを無視し、ボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出した」ことがラグビーの起源とされているが、彼が在籍していたのはラグビー校であり、手を使うこと自体はルールとして認められていた。彼がルールを破ったとされるのは手に持って走り出したことで、ラグビーとサッカーが袂を分かったのはこれよりさらに40年以上後のことのため、この有名なエピソードがラグビーの起源となったわけではない。

15人制から派生した7人制ラグビー

イングランド北部やウェールズ南部で発展していったラグビーだったが、1895年に仕事をしながらプレーする選手の休業補償問題が発生し、これをキッカケに北部で22チームからなるプロリーグが発足。これらは「ラグビー・フットボール・リーグ」を名乗り、以降はラグビーというスポーツが「ラグビーユニオン」と「ラグビーリーグ」に分裂することとなった。

普段、我々が「ラグビー」と呼んでいるスポーツはラグビーユニオンであり、15人制のルールに則って行われている。一方、ラグビーリーグは13人制であり、ラック・モール・ラインアウトなどの負傷の可能性が高いプレーも排除されている。

2016年のリオ五輪から採用された7人制ラグビーも、当然ながらラグビーユニオンの括りである。その歴史は古く、1883年にスコットランドの農村地域で開かれたラグビー大会に人が集まらなかったことから考案されたという。1926年にはイングランドでも大会が開かれ、ここから一気に普及が進んでいった。

15人制との違いは、人数と試合時間。15人制が80分(前後半各40分)で終わるのに対し、7人制は1分間の休憩を挟んだ前後半各7分で構成される。それ以外、フィールドの大きさなどは15人制と変わらないため、守備の間隔が広く、15人制よりも得点が入りやすい傾向にある。

また、少ない人数で試合が行えることから、ラグビーの「伝道」として活用されることが多く、ラグビーの歴史が浅いアジア圏でも1976年に始まった「香港セブンズ」は毎回好評を博している。リオ大会より五輪競技に男女揃って採用されたのも、そのスピーディな競技性や普及性において15人制よりも優れた利点があってのことだろう。

初のW杯日本開催で盛り上がる15人制の陰に隠れてしまってはいるが、7人制も来年の東京五輪におけるメダル獲得に向けて着々と強化を続けている。リオ五輪で4位入賞とメダル獲得まであと一歩のところまで行った男子はもちろん、前評判に反して結果を残すことができなかった女子も、地元開催でのリベンジに燃えている。

五輪競技に採用されたことを受けて、特に女子の7人制ラグビー人口が一気に増加しているというデータがある。来年の東京五輪でさらに人気が出れば、その後の7人制ラグビーの日本における普及拡大に火がつくはず。決して身体の大きな選手だけが有利ではない、7人制ラグビーの魅力を、まずは東京五輪で味わってもらいたい。

● 公益財団法人日本ラグビーフットボール協会
https://www.rugby-japan.jp/

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