COUNTDOWN TOKYO 2020 vol.24 ハンドボール -HANDBALL-

11人制と7人制

ハンドボールの起源は諸説あり、古くは紀元前に手でボールを扱う球技の存在が壁画などで確認されているが、近代スポーツとしてのハンドボールは19世紀末のデンマークと20世紀初頭のドイツで誕生している。

1897年頃、デンマーク人の教育実習生ラスムス・ニコライ・エアンストがイギリス留学で学んだサッカーを生徒たちに教えていたところ、プレーしていた生徒が校舎の窓ガラスを割ったことで学校からサッカー禁止令を出されてしまう。そのため、より安全にプレーできる競技を、ということで考案されたのがハンドボールの原型といわれている。

1906年には、エアンストの指導教官であるホルガー・ニールセンにより競技規則が制定され、屋内競技として普及。デンマークと同様の寒冷気候であるスカンジナビア諸国を中心に広がっていき、現在行われている「7人制ハンドボール」へと発展していくこととなる。

一方、ドイツでは手を使ってボールを扱う「ラフバル」という競技が生まれ、これを女性用に改良した「トーアバル」とともに19世紀末から20世紀初めにかけて広まった。この2つの競技をドイツ人体育教師のカール・シェレンツが青少年も取り組める球技として改良し、こちらは「11人制ハンドボール」としてヨーロッパを中心に発展していく。

7人制と11人制のハンドボールは相互に影響しあいながら国際的に広がっていき、1936年の第11回ベルリン五輪では11人制のハンドボールが初めて正式種目に採用された。しかし、その後は採用されず、再び五輪種目として復活したのは1972年の第20回ミュンヘン大会からとなった。

しばらく7人制と11人制が並行していたハンドボールだが、1946年に11人制を主流とするドイツが第二次世界大戦で敗れたことを背景に、7人制を主流とするスカンジナビア諸国が国際ハンドボール連盟(IHF)を設立。これを機に、ハンドボールは少人数で小さな競技場でも実施できる7人制へと一本化されていくこととなる。

遠ざかる五輪の舞台

世界との差を縮めるために 日本にハンドボールが伝えられたのは、1922年に東京師範学校の大谷武一が大日本体育学会で11人制を紹介したのがキッカケだった。後にIHFの設立によって事実上解散した国際アマチュアハンドボール連盟(IAHF)には日本陸上競技連盟(JAAF)の名で加盟し、1937年に記念すべき第1回全日本選手権が開催されている。

終戦から7年後の1952年にはIHFへの加盟が承諾され、1963年には国内の全公式戦が7人制に統一。五輪にハンドボールが復活した1972年のミュンヘン五輪から出場を果たし、1976年には日本ハンドボールリーグ(JHL)が設立された。

しかし、男子は1988年のソウル五輪、女子は唯一の出場となる1976年のモントリオール五輪を最後に日本の出場は遠ざかっている。発祥の地であるヨーロッパ諸国はもちろん、ハンドボールが盛んな中東勢や韓国の壁は厚く、アジア予選を突破することすら容易ではない状況だ。

それでも、2020年の東京五輪では男子は32年ぶり、女子は44年ぶりに五輪出場を果たす。今年1月、男子の世界選手権が発祥の地であるデンマークとドイツの共催で行われ、日本はワイルドカード(主催者推薦枠)で出場したが、5戦5敗、参加24カ国中24位の最下位と、改めて世界との差を見せつけられた。

一方、女子の世界選手権は今月30日から12月15日まで、熊本で行われる。初の自国開催となる日本は、世界を相手にどこまで戦えるのか。来年に控えた五輪本番への試金石となる大会だけに、「おりひめジャパン」の挑戦から目が離せない。

●(写真提供)公益財団法人日本ハンドボール協会/Yukihito TAGUCHI http://handball.or.jp

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