COUNTDOWN TOKYO 2020 vol.27 サッカー -SOCCER-

五輪とW杯

五輪におけるサッカーの歴史は、W杯よりも古い。競技としての正式な採用は第4回ロンドン大会からとなっているが、第1回のアテネ大会からすでに非公式に試合が行われていた記録がある。サッカーはすでに世界的にもメジャーなスポーツの1つだった。

時を同じくして、サッカーの母国であるイングランドでは選手のプロ化が普及し始めており、その影響は他のヨーロッパ諸国にも広がっていく。プロ化が浸透していくサッカー界と、あくまでアマチュア主義に固執する国際オリンピック委員会(IOC)の関係は決して良好なものではなく、1904年に結成された国際サッカー連盟(FIFA)はプロアマ問わず出場可能な真のナショナルチーム世界王者を決める大会として、1930年に『FIFAワールドカップ』を創設。このことから1932年のロサンゼルス五輪で五輪競技からサッカーが外れることとなるが、商業的にも大成功を収めるワールドカップとの比較から、アマチュアのみしか参加できない五輪サッカーはプロ化の波が遅れていたアジアやアフリカ、北中米カリブ海、南米の一部地域を除いて急速に人気が落ちてしまう。

こうした状況に変化をもたらしたのは、1984年のロサンゼルス五輪。IOCがプロ参加を容認したことで、集客性に富んだサッカーの充実を図りたいIOCと、W杯の威厳と価値を守りたいFIFAによる利害の対立がより明確に。最終的には、ロス五輪でも前回のモスクワ五輪と同様に、W杯の予選もしくは本大会に出場した欧州と南米の選手は五輪に出場できないことにした。

1992年のバルセロナ五輪から、現在まで続く23歳以下の出場規定が導入。これにより五輪におけるサッカー競技はU-17W杯、U-20W杯と並ぶ年代別世界選手権大会の一環として再編成されることとなるが、観客数が思ったほど伸びなかったことを受け、IOCはA代表を出場させるよう改めてFIFAに要請したが、FIFAは再度拒否。妥協として1996年のアトランタ五輪から23歳以下の出場資格はそのままで、本大会のみ24歳以上の選手(オーバーエイジ)を最大3人まで加えることができることとなり、現在に至る。

数あるスポーツ競技が最終目標として五輪種目への採用を目指しているのに対し、サッカーは「五輪への協力を渋る競技側と、それを引き止めるIOC側」という異例の構図となっている。

日本と五輪サッカー

1990年代までプロ化がなかった日本では、五輪におけるサッカーのプライオリティは高かった。特に1950年代から60年代の日本はアマチュアリズム全盛の時代で、1964年の東京五輪に向けた強化施策もあり、日本国内ではW杯よりも五輪の知名度が圧倒的だった。

東京五輪ではグループリーグを2位で突破したものの、続く準々決勝でチェコスロバキアの前に完敗。しかし、チームを率いた“日本サッカーの父”デッドマール・クラマーの教え子たちによって、4年後のメキシコ五輪では開催国メキシコを下して見事に銅メダルを獲得する。エースの釜本邦茂が得点王にも輝いたこの大会は、いまだ日本のサッカー史に燦然と輝いている。

また、23歳以下という年齢制限が設けられて以降も、ベスト16が一つの目標となるW杯に対して、五輪は2010年のロンドン大会でベスト4に進出。メダルにはあと一歩届かなかったが、W杯でのベスト4進出よりも現実的な目標として、メダル獲得を掲げられるようになっている。

いざ今夏に迎える東京五輪では、1997年1月1日以降に生まれた選手(本大会の年に23歳になる、あるいはそれ以下の年齢の選手)が出場規定となるが、堂安律(PSV/オランダ)、板倉滉(フローニンヘン/オランダ)、冨安健洋(ボローニャ/イタリア)、久保建英(マジョルカ/スペイン)などすでにA代表経験者がズラリ。欧州のクラブが招集に応じないケースもあるが、オーバーエイジを含めた最強メンバーが期待されている。

東京五輪では、アディダスから発表された斬新な新ユニフォームにも注目だ。ひとりひとりの選手やサポーターが見てきた空が一つにつながり、雲ひとつない最高の青空“日本晴れ”に向かっていく。サッカー日本代表が、日本中に希望を与える日本晴れの空の様な存在であって欲しいという願いが込められているコンセプト通り、悲願のメダル獲得を期待したい。

● 公益財団法人日本サッカー協会 http://www.jfa.jp

 

 

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