| 1989 |
西日本短大付属高校からドラフト5位で阪神タイガースへ入団。 |
| 1992 |
初スタメン起用。第1打席でプロ初本塁打を記録。
91年最下位だった阪神の2位躍進へ貢献。 |
| 1995 |
突然の引退宣言。後日撤回。 |
| 1999 |
ジャイアンツ戦で槙原博己の敬遠球を打ちサヨナラ安打。 |
| 2000 |
FA権を行使。阪神が推定5年12億の年俸を提示するも、
ニューヨーク・メッツへ推定年俸2200万円で移籍。 |
| 2001 |
8月3日のDバックス戦以降、
日本人史上初となるMLB4番打者を務め優勝争いに貢献。 |
| 2002 |
サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。
日本人史上初となるワールドシリーズ出場を果たす。 |
| 2003 |
古巣メッツへ移籍後、マイナーを経験。
日本ハムファイターズと契約し、日本球界へ復帰。 |
| 2004 |
7月11日、オールスターゲーム史上初の単独ホームスチールを成功させ、
オールスターMVPを獲得。 |
| 2005 |
日米通算200号本塁打を記録。 |
| 2006 |
4月18日、ヒーローインタビューで引退を表明。
6月16日、日本通算200号本塁打を記録。
9月27日、パ・リーグペナントレース首位通過決定後、
札幌ドームで引退セレモニー。 |
MLB通算303試合、打率.245(876打数215安打)100打点20HR
NBP通算1411試合、打率.242(5163打数1309安打)716打点205HR
ゴールデングラブ賞8回、オールスター選出7回、ベストナイン3回 |
| ※2006.9.30現在 |
| 新庄剛志がヒーローインタビューで引退を宣言したのは、開幕わずか1ヶ月。満塁HRの大活躍で東京ドームを沸せた直後のこと。行く先々の空港では引退を惜しむファンが殺到する騒ぎとなった。かつての新庄の言動には、賛否両論も付きまとった。だが、合併問題に揺れたパ・リーグにあって札幌ドームを満員にし、果ては日ハムを25年ぶりの首位にまで牽引した立役者を誰が批判することができるだろうか。アスリートは何かを乗り越え挑戦する時、自分を追い込む術を知っている。新庄は帰国した頃から、バリー・ボンズをして「最高のセンターの1人」と言わしめた強肩の衰えを感じ取っていた節があるが、彼の真骨頂は、まさにそこからでもあった。数々のパフォーマンスでファンを喜ばせ、自分を追い込み結果を出す。その強く優しいヒーローのスピリッツは従来の野球ファンだけでなく、女性や子供を球場に運んだ。それはメッツ時代でも同様だった。新庄のキュートで陽気な性格は瞬く間にNYのファンを虜にした。プロ野球はようやく新庄に追い付く時代に差し掛かっているのだろう。新庄が球界に与えた最大の功績は「フランチャイズスターの真価」だったのかもしれない。だが、何より引退後も楽しみなのが新庄なのだ。 |