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| およそ60億円という、松坂大輔のポスティングでボストン・レッドソックスが西武ライオンズに支払った驚異的な金額に目を奪われた我々にとってみても、ニューヨーク・ヤンキースが阪神タイガースに提示した2600万ドルという移籍金、井川本人に提示された5年契約2000万ドルという年棒も驚かされるに十分のものだった。松坂との比較で考えてみれば、阪神タイガースのエースだった井川の日本での実績は、松坂のそれに少しも劣るものではない。
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| 高校時代、甲子園のマウンドを踏むことができなかった井川は、1998年ドラフト2位でその甲子園をホームグランドとする阪神タイガースに入団。1年目は登板機会がなかったが、2年目の99年、この年就任した野村克也監督(現東北楽天監督)によって中継ぎ投手として一軍デビューを果たす。早くも初勝利を飾るが本格的に先発投手として開花したのは、野村監督最後の年の2001年だった。勝敗こそ9勝13敗と負け越しはしたが、29試合192イニングに登板して防御率2.67。奪三振171。オールスターにも出場した彼の活躍は翌年以降の大ブレイクを予感させるに十分なものだった。 |
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| 翌2002年、この年就任した星野仙一監督(現全日本監督)から開幕投手を任されると、それから昨年までの5年間、平均で毎シーズン200イニング近くを投げ、5年連続して二桁勝利を上げて阪神のエースとして君臨した。特に圧巻だったのは2003年。20勝5敗、防御率2.80を記録。セ・リーグでは24年ぶりの20勝投手となり、最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得。ベストナインと沢村賞にも選ばれ、日本を代表するサウスポーとしての地位を確立した。 |
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| だがここまで順調に思えた井川の歩みは足踏みする。ノーヒットノーランも記録した2004年のシーズンオフ、井川はポスティング・システムによるメジャーリーグへの移籍をチームに要望した。だが阪神は彼の要求を認めず、その交渉はキャンプが行われる2月まで続いた。この時は結局井川が折れる形で阪神残留となったが、その影響からか2005年シーズンには一時2軍落ちするなど調子を落としていた。それでも2006年には本来の姿を取り戻した井川は、遂に夢だったメジャー移籍を勝ち取ったのだ。
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| 野球にストイックなまでに取り組む井川の姿勢は有名だ。入団当初から専属トレーナーを雇って体作りを行うだけでなく、登板後も念入りにボディケアを行う。近年では専属の調理師まで雇い栄養管理に気を配っているという。そうした日々積み重ねてきた気遣いや努力が、念願のメジャー移籍という夢を結実させたのだろう。 |
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| ポスティングで松坂をライバル、レッドソックスに奪われたヤンキース。メジャーリーグの盟主を自負するヤンキースにとって、もう1人の日本球界のエース井川の獲得は絶対的な使命だった。その結果入団した井川の実力を疑問視する声も少なくないと聞く。だが渡米後の井川の評価は鰻登りだ。ローテーション投手として確実に勝ち星を上げられる存在、と期待されるまでになった。長い左腕から繰り出される伸びのある直球、そしてメジャーリーグでは効果大といわれるチェンジアップを武器に、三振の山を築く井川の活躍を期待しよう。 |
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