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月2日、シアトル・マリナーズの本拠地、セーフコスタジアム。優勝戦線から早々脱落した最下位チームの消化試合だというのにこの日スタジアムには45,573人の大観衆と米国中の主だったメディアの記者が大挙して押し寄せていた。
試合最下位の直後、一番打者の強く叩きつけた打球がサードの頭上を超え、バッターが一塁キャンバスを矢のように走り抜けるとスタジアムに花火が上がり、スタンディングオベーションに包まれた。塁上の男はヘルメットを脱いで観客の拍手に応えたもののいつもどおりの表情のままだった。3回裏、一番打者の鋭い打球が今度はショートの脇を抜けてセンター前に達したとき、花火とスタンディングオベーションは一回の時と同じだが、一塁側のダッグアウトから全選手そして監督もコーチもとにかく全員が一塁キャンバスにいる彼を目指して飛び出してきたのだった。ICHIRO、ICHIROと大コールが鳴り止まない。年間257安打という84年もの間誰一人として破るものがいなかった偉大なメジャー記録が塗り替えられた瞬間だった。塁上の男は仲間からの突然の祝福に子供のような笑顔を見せた。翌日、日本からやってきたこのスゴイ男がやってのけた快挙を全米のメディアがトップニュースで伝えた。ニューヨークタイムスに「いつも無表情な男もこの日ばかりは笑顔を見せた」の見出しが踊った。総理大臣よりも誰よりも全米で最も顔と名前が知れ渡っている日本人が、ここしばらくイチローであることは間違いない。
イチローというプレーヤーは本当にスゴイ。何がスゴイかと列記するのがもはや無駄と思えてくるくらいスゴイ。
試合後の記者会見でこの記録をいつごろから意識するようになったかとの質問があった。イチローは4年連続の200本安打を達成した8月あたりに「ひょっとしたら」という思いが脳裏をかすめたと語ってくれた。イチロー自身が年間257安打というメジャー記録の存在を知ったのは、実は1994年のことらしい。それはオリックスに入団して3年目のイチローが日本記録となったシーズン210安打を放った年だ。その時イチローは、「日本の野球は130試合、メジャーは162試合だからあと32試合このペースでいけば届く可能性のある数字」だと思ったという。そして今シーズンまさに210安打を打ったのは、残り32試合とした時だった。ただし、あの頃と今シーズンとではイチローにとってまったく違うのだという。「94年は、恐さを知らずに、自分の力よりも大きな力が働いたシーズンだった。2004年というシーズンは、いろんな恐さを知って、それを乗り越えて、自分の技術を確立した上で残した数字。僕にとって重みがまったく違う」と真っ直ぐに言うのだった。 |
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