テニスの四大大会最古の1877年以来、130年の歴史を持つウィンブルドン。そのウィンブルドンの歴史の中で大きな転機となったのが1968年だ。この年、他の四大大会と同様にそれまで締め出していたプロ選手の参加を認めてオープン化をはかり、これによって名実共に世界最高峰にふさわしい大会となった。この記念すべき年にウィンブルドンの男子シングルスで優勝したのが、プロに転向したばかりのオーストラリア人ロッド・レーバーだった。その翌年もレーバーはウィンブルドンで連続優勝。さらに他の3つの四大大会にも優勝しグランドスラムを達成した。レーバーは1962年アマチュア時代にもグランドスラムを達成していて、現在に至るまで世界のテニス界で男女を通じて2度の年間グランドスラムを達成した唯一人の選手である。
同じ時期に活躍した選手として挙げられるのが、シングルスで67年、70年、71年優勝、男子ダブルスで6勝をあげたジョン・ニューカム。四大大会8勝をあげながらウィンブルドンでは未勝利に終わったケン・ローズウォールが挙げられる。2人はロッド・レーバーと同じオーストラリア人。また日本ではテニスシューズの名前で知られるスタン・スミスもこの時期の選手で、彼は72年にウィンブルドンに優勝している。
そんな彼らが活躍した時代に終止符を打った選手―それが1952年生まれ、1974年にウィンブルドンで初優勝したアメリカ人のジミー・コナーズだ。彼はこの年に全豪オープン、USオープンに優勝して世界ランキング1位になり、以降160週に渡り1位を維持していた。さらにコナーズはキャリア終盤期の82年にもウィンブルドンを制している。
同じ時期、彼のライバルとしてウィンブルドンでも数々の名勝負を繰り広げた、スウェーデン人選手ビョルン・ボルグとアメリカの悪童ジョン・マッケンローが登場する。
1956年生まれのボルグは76年にウィンブルドンで初優勝すると80年まで5連覇を果たした。中でも5連覇最後となった80年の決勝戦ではマッケンローとフルセットに及ぶ激闘を繰り広げ、テニス史に残る名勝負となった。翌年2人は再び決勝戦で対戦し、今度はマッケンローが勝利しボルグの6連覇は阻まれた。そのボルグは全米オープンでは準優勝4回ながら全仏オープンでは史上最多の6勝を達成し、歴代3位となる四大大会11勝をあげたが、1983年26歳の若さで突然引退した。
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一方のマッケンローは、1981年2年連続で決勝戦で対戦したボルグを敗りウィンブルドン初優勝。翌年の決勝ではコナーズと4時間を超える激戦の末、敗れ連覇はならなかったが、83年、84年は連覇を果たしている。また彼は男子ダブルスでも活躍し、アメリカン人のピーター・フレミングと組んでウィンブルドンで五度の優勝を果たしている。
世界のテニス人気を牽引した3人の後、突如として登場したのがドイツ人のボリス・ベッカーだ。1967年生まれのベッカーは、85年17歳でウィンブルドンに初出場。いきなり優勝すると翌年も連続優勝。さらに彼は89年にも優勝した。90年、91年には決勝に進むものの連続して敗れている。またコナーズら3人やベッカーのライバルとして活躍していたのがチェコスロバキア出身のイワン・レンドルだ。1985年から90年まで、全米オープン3連覇を含め四大大会で八度の優勝を果たしたが、結局ウィンブルドンでは一度も優勝を飾ることはできなかった。
その後、ウィンブルドン2勝を含め四大大会6勝のスウェーデン人ステファン・エドベリなどの活躍もあったが、90年代に入り世界の男子テニス界は史上最強の王者を迎える。1971年アメリカ生まれのピート・サンプラスの登場だ。四大大会史上最高の14勝をあげたサンプラスだが、そのうち七度の優勝がウィンブルドンで、93年から95年が3連覇、97年から00年まで4連覇を果たしている。彼は全米オープンでも5勝、全豪オープンでは2勝したが、全仏オープンでは全く勝てず、グランドスラムはならなかった。世界ランキングで286週に渡り1位に君臨し、最強の名をほしいままにしたサンプラスも、02年に全米オープンに優勝すると、事実上引退。
その系譜は現在世界の頂点に君臨するロジャー・フェデラーに引き継がれることになる。 |