日本で初めてF1が開催されたのは1976年。場所は富士スピードウェイだった。だが翌年不幸に見舞われる。コーナーを曲がり切れなかったマシンがスタンドに飛び込み、観客が死亡したのだ。この事故以降日本グランプリは10年間の空白となる。
次に日本グランプリが開催されたのは1987年。時は一時代を築いたホンダの全盛期で、ホンダのホームサーキットである鈴鹿サーキットで開催された。以降20年に渡り、シーズン終盤に行われるこのグランプリで毎年のように年間チャンピオンを決める数々の名勝負が繰り広げられた。
その中で最も激しい戦いが、この時代F1をリードした両雄、アラン・プロストとアイルトン・セナの文字通りの激突だった。鈴鹿F1の3年目となった1989年、前年このサーキットでチームメイトのアラン・プロストを大逆転で破り初の年間チャンピオンになったアイルトン・セナ。この二人がまたしてもワールドチャンピオンを賭けて日本グランプリに臨んだが、二人がレース終盤で接触してプロストがリタイアしセナは失格。この結果、プロストが自身3度目のワールドチャンピオンになった。更に次の年もこの二人が年間チャンピオンを賭けて鈴鹿にやってきた。フロントローで並んだ両雄は、スタート直後の第1コーナーで接触し二人ともそのままリタイア。この結果セナが3度目の年間チャンピオンになった。
それ以降も数々のワールドチャンピオンを生んだ鈴鹿サーキット。アイルトン・セナ亡き後F1を牽引したミハエル・シューマッハは、1994年にこのサーキットでは初の年間チャンピオン決定を逃したものの、1995年にこのサーキットで初勝利をあげると以来通算6回の優勝を果たした。1998年にシューマッハと年間チャンピオンを競り合ったミカ・ハッキネンは、このグランプリでシューマッハを破り、初の年間チャンピオンになった。
1990年、鈴木亜久里が日本人として初めて表彰台に立ったのもこのサーキットだった。また、佐藤琢磨も表彰台こそ無かったが、この鈴鹿では2002年に6位入賞して以来抜群の成績をおさめてきた。
数々の歴史を刻み思い出を残してきた鈴鹿サーキットに代わり、今年から日本グランプリは新装された富士スピードウェイで開催される。ここでも新しいチャンピオンが生まれ、新しいドラマと歴史が刻まれていくことだろう。 |
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