|
諦めず練習する姿勢、ポジティブで慕われる性格、サッカーができる環境への喜び、現在でさえ日本人にとって課題となる決定力。カズの栄光、そして栄光の数だけある挫折の原点はそこにある。ブラジルの地でアジア最高のFWとなったカズは、日本でのプロリーグ創設が待たれる90年、読売クラブの強い要請により帰国。Jリーグ開幕の前年となる92年ナビスコカップでは得点王と最優秀選手賞に輝き、その目の覚めるようなドリブルと鮮烈なシュート、そしてカズダンスのパフォーマンスはサッカーを知らなかった人々をも虜にした。プレーはもちろん、フィールド外でも露出を厭わず、憧れを抱く少年たちを温かく励ます。「プロのサッカー選手とはこういうものなのか」と日本中に知らしめた不動のFWこそキング・カズだった。だが、キングの軌跡はサクセスに彩られたものではない。93年ワールドカップ予選でドーハの悲劇のホイッスルに天を仰いだカズは、同点シュートが足をすり抜ける悪夢の残像を胸に、4年後に向けて一路イタリアへの挑戦を開始。
セリエAジェノアでの活躍が期待されたが、開幕戦にミランのフランコ・バレージと空中戦で接触し、顔面骨折という不運にも見舞われる。そして98年、誰よりも日の丸を強く背負い、イタリアでもアジア人初ゴールを記録し、いよいよ開始されるW杯フランス大会に向けて帰国したカズを待ち受けたものは、代表メンバーからの脱落だったのである。挫折はそれにとどまらない。組織の改編されたヴェルディからのゼロ年俸通告、クロアチア・ザグレブへの移籍、そして再びJリーグへ。カズの秘めた思いと挑戦の一方、続々と若い選手が海外で活躍するようになる。だが、カズはかつてブラジルの地で挑戦を始めたカズと変わらない。
渡り歩けばファンの熱狂に迎えられ、どんなチームにも勇気と勝利への執念を与える。12クラブ目となる横浜FCで活躍中のカズは、新生オーストラリア・AリーグのシドニーFCへ招聘され、世界クラブ選手権への出場も果たした。ボールを休むことなく蹴り続け、その一蹴りが計り知れない財産と課題を後進に与える三浦知良。キングの歴史に終止符はない。
|